ヒラタの歩み
大阪市西区にて、平田器械店として産声をあげたのは、1918年(大正7年)のこと。
1950年(昭和25年)、平田器械店は「平田泰生堂(ひらたたいせいどう)」へと社名を変更しました。当時の取扱品目は「医療機器・医療用ゴム製品・包帯材料・医科理化学・硝子器磁製品・その他医科用補助品一式」でした。
1963年(昭和38年)、株式会社へと組織変更し、社名も「平田産業株式会社」へと変更。数年後にはカテーテルの草分け的メーカーとの販売契約が成立し、先進医療のさきがけとも言うべき低侵襲医療機器を扱う全国展開の輸入商社へと変貌を遂げました。
その後、脳外科・循環器科・心臓血管外科、内視鏡処置具の各領域への進出、各分野でのハンズオンワークショップや研究会を通じて医療現場に貢献し業務を拡大してきました。このような業務の拡大に対応するために営業拠点の全国展開を進め、1987年(昭和62年)には、流通体制のコントロールタワーとなる堺物流センターを大阪府堺市に設置。現在は、全国10営業拠点で営業活動を展開しています。
また、従来の医療機器輸入業に加え、1988年(昭和63年)、「医療機器製造業許可」を取得、堺物流センターに併設する製造施設にて製造した自社製品の製造販売も開始しました。
1993年(平成5年)、社名を「株式会社メディコスヒラタ」へと変更し、日本国内初の腹部大動脈瘤用ステントグラフトや日本で2番目のコロナリーステントを自社独自の治験実施により承認を取得して輸入販売。更に、2011年(平成23年)には急性期脳血栓回収用デバイスの輸入販売を開始する等、今日まで各国から先進医療機器の導入を推進しています。
また、他メーカーとの共同開発製品をユーザーの意見をもとに商品化。これまで治療困難であった疾患に対しても治療を可能とするような、自社開発製造品のラインナップも随時拡充しています。
今後もメディコスヒラタは安全・安心な医療、また患者様のQOLを向上させる低侵襲医療機器をはじめとした最先端医療の導入に力を注ぎ、社会貢献に一層精進してまいります。
沿革
大正7 年(1918) 1月 | 平田器械創業 |
---|---|
昭和25 年(1950) 10月 | 有限会社平田泰生堂設立 |
昭和38 年(1963) 2月 | 平田産業株式会社に社名変更 |
昭和52 年(1977) 4月 | 東京営業所を開設(のち東京支店となる) |
昭和53 年(1978) 8月 | 名古屋営業所を開設(のち東海北陸支店となる) |
10月 | 福岡営業所開設(のち九州支社となる) |
昭和56 年(1981) 12月 | 仙台営業所を開設 |
昭和61 年(1986) 8月 | 横浜営業所を開設 金沢営業所を開設(のち東海北陸支店 金沢出張所となる) |
9月 | 札幌営業所を開設 |
昭和62 年(1987) 12月 | 堺物流センターを開設 |
平成 2 年(1990) 6月 | 松山営業所を開設 |
平成 5 年(1993) 4月 | 株式会社メディコスヒラタに社名変更 |
平成12 年(2000) 4月 | 静岡出張所を開設 |
平成13 年(2001) 4月 | 広島出張所を開設(のち広島営業所となる) |
平成21 年(2009) 5月 | ISO13485:2003 及びISO9001:2008 の認証取得(大阪本社、堺事業所、営業本部/ 学術本部) |
平成22 年(2010) 8月 | 松山営業所を高松営業所へ移転 |
平成30年(2018) 6月 | 静岡出張所を東海北陸支店に統合のため閉鎖 |
平成30年(2018) 10月 | 創業100周年記念祝賀会を開催 |
令和2年(2020) 1月 | 東京本社及び東京支店を文京区小石川へ移転 |
令和2年(2020) 2月 | 東海北陸支店を名古屋市中区丸の内へ移転 |
令和3年(2021) 5月 | 東海北陸支店 金沢出張所を東海北陸支店に統合のため閉鎖 |